デリバレイティブ映画観

~ゆるやか映画感想ブログ~

『沈黙 Silence 』〜何が正解なのか?〜

ゴールデンウィークが過ぎて、

やや更新ペースが落ちぎみですが、

今回の映画は『沈黙 SILENCE 』(1971)です!

 

監督は篠田正浩。原作は遠藤周作

今年マーティン・スコセッシ監督による映画化がされたことで話題になりましたが、

まだ観てません。

原作も読んでません。

なので、  あくまでこの映画についてのみ書いていきます!

ネタバレもあります。

まずはあらすじ。

キリスト教禁止された江戸時代の日本。

そこを訪れたのは、

自らの師匠である宣教師フェレイラ(丹波哲郎が日本で弾圧を受け

改宗したという噂を確かめに来たロドリゴ(デイビット・ランプソン)ガルぺ(ダン・ケニー)の2人の宣教師でした。

キチジロー(マコ岩松という隠れキリシタンの男に連れられ長崎で宣教師としてひそかに活動していた2人でしたが、

密告者によって、長崎奉行所による隠れキリシタン探しが始まります。

村からはキチジローを含む4人が踏絵を強制され、

キチジローだけが踏絵に唾を吐いて逃げ延びますが、

残りの3人は信仰を捨てずに海中で磔にされて処刑されます

海に沈んでいく様子をみて村人たちは祈りを捧げ、

ロドリゴ涙を流すのでした。

次のシーンでは追及の厳しくなった村からロドリゴは独り逃亡しており、

キチジローとともに逃避行を続けていましたが、

キチジローは金に目がくらんでロドリゴ奉行所に引き渡してしまいます。

奉行所では、通詞(戸浦六宏)という通訳をする役人、

さらにそこのトップである井上筑後守(岡田英次にも改宗を勧められます。

しかしロドリゴは説得に応じず、奉行所に幽閉されます。

一方キチジローは罪の意識から、

遊女(三田佳子に自らに唾を吐きかけるよう頼んだり、

幽閉されているロドリゴに会おうと奉行所に侵入しようとします。

奉行所にはほかのキリシタンたちも幽閉されており、

キク(岩下志麻岡田三衛門(入川保則という夫婦も拷問にかけられていました。

ロドリゴは、その夫婦に対する拷問やガルぺが殉教する姿を見せられ、

さらにはかつての師であるフェレイラにも改宗を進められますが、

ロドリゴは頑なに改宗を拒みます。

しかし、穴吊りという非常に苦しい拷問を受け、

また同じく穴吊りに苦しむキリシタンたちのうめき声を聞くに至り、

自分が改宗すれば彼らは助かるというフェレイラの説得を受け入れて、

ついにはキリストの描かれた絵を踏むのでした。

そして、岡田三衛門というキクの夫の名をもらい、彼女の夫として生きていくのでした。

ここが良かった①

1番印象的だったのは、この映画のもつ重厚感です。

冒頭でロドリゴとガルパの2人が岩窟の中で行う礼拝のもつ厳かさ、

踏絵を強いられる村人たち、

海中に磔にされ、沈んでいく信者たちと、

それを見て祈る村人と涙を流すロドリゴ

密告によって村を追われ、ロドリゴがひとり逃げる場面での、

まとわりつくようなハエの羽音

そして、ロドリゴが絶壁と海に囲まれた砂浜を歩く閉塞的な絶望感

繰り返し自らの裏切りを悔やみ許しをこい、ついには遊女に唾を吐きかけるよう頼むキチジロー。

井上筑後守との、日本におけるキリスト教をめぐる問答

同じく囚われたキリシタンの、キクと岡田三右衛門という夫婦の拷問シーン、

ひとり改宗して助かったキクを責め立てるように音を立てるキリシタンたち。

穴釣りという拷問の残酷さ、

ロドリゴに改宗するよう説得を試みるフェレイラ師との対話。

最終的に改宗し、キクと夫婦として結ばれるラストシーン。

挙げればきりがありませんが、一つの一つのシーンがもつ緊張感には

息をのまされます

とくに、ロドリゴが独り逃亡中に砂浜を歩くシーンは、

異国の地でなにも持たず仲間もなく

周囲を絶壁と海に囲まれて一切の行き場がない圧倒的な絶望感と閉鎖感

そして、ひとり信仰を貫こうとする者の孤独が、

画面を通してひしひしと伝わってきます。

現実の光景であるのに、地獄の光景のようにさえ感じられるシーンでした。

もう一つ挙げるなら、井上とフェレイラとのそれぞれの問答シーンですね。

井上は、すでに固有の文化を持つ日本にキリスト教は根付かないと語り、

一方のフェレイラは、日本は沼であり

キリスト教をそのままではなくあくまで変形させて受容しているに過ぎないロドリゴに語ります。

ロドリゴはそうではないと否定しますが、

この時代においてはどちらの言い分が正しいのか、

断言することはできません。

2つの異なる文明の間に、決して埋まることのない溝が存在することを痛感させられます。

丹波哲郎岩井志麻といった、圧倒的な存在感をもつ俳優陣も相まって、

陰のある迫力ある場面が映画を通じて続きます。

 

ここが良かった②

画面のもつ重厚さを支えていたのは、

この作品の深いテーマ性でしょうか。

信仰とはなにか?

という遠藤周作自身の問いを、

この作品はロドリゴに、

キチジローに、

フェレイラに、

そして見ている私たちに問いかけます。

自らが信じるものを、信じ続けるが故の苦悩、

信じ続けられないが故の苦悩。

他人や自分自身を犠牲にしてまでも、自身の信仰を貫くのか、

それとも、信仰を裏切ってでも、現実に生きていこうとするのか。

どちらが正しいかは、だれにもはっきりとはわかりません。

キチジローのように恐怖や欲望にかられて信仰を捨てる姿を、完全に否定することができる人間がどれほどいるでしょうか。

また、もしロドリゴが改宗せずに殉教していたとしたら、

同じく囚われて穴吊りの拷問にかけられていたキリシタンたちは、

耐え難い苦しみの末に命を落とすことになっていたはずです。

もちろん、信仰を捨ててまで得た命に価値などないという考え方も十分あるでしょう。

その点で、信仰とは何か考えさせられる映画でした。

ロドリゴが改宗するエンドも、人によって受け取り方が違うかなと。

遠藤周作は、キリスト教は弱者のためにあるのだ、という結論に達したようですが、

答えはひとつではないようにおもわれます。

まとめ

深いテーマ性をもったこの映画。

信仰をめぐる人間の苦悩が十分に伝わってきました。

通詞の人は存在感ありましたね。

キチジローの姿こそ現実の人々にもっとも近い感じがします。

でも、より深く理解するにはやはり原作小説を読まないとダメそうですね。

マーティン・スコセッシの映画も見る必要がありそうです。

そのうえでまた改めて書いていきたいと思います。

次はちょっと明るい映画をみましょう。

それでは。