デリバレイティブ映画観

~ゆるやか映画感想・随想ブログ~

南仏のやわらかなひかり。

夜中にあてもなくチャンネルを回していたところ、

晴れ渡った空と青く煌めく海、そんな海岸線を彩るように連なったパステルカラーの家々が目に留まった。

 

 

 

その街の名はヴィルフランシュ・シュル・メール。

南仏の保養地として知られるコートダジュールに位置する街で、

「旅するフランス語」という番組で常盤貴子が味わっていたその景色は、

フランスの芸術家、ジャン・コクトーが愛したものであったという。

 

書き記しておきたいのは、街に、海に、家々にそそぐ光の輝きである。

やわらかで、それでいて力強い地中海の陽光は、

ジャン・コクトーの感性を刺激し、数多くの作品のインスピレーションをもたらしたのだ。

 

そんな地中海の光に感銘を受けたのはジャン・コクトーばかりではない。

19世紀には同じく南仏のアルルにゴッホがそんな光を求めて移り住み、

モネ、ルノアールセザンヌゴーギャンといった画家たちが南仏に降り注ぐ光で芸術の新たな時代を照らし出した。

 

思えば、これまで何かに迷い、思索を求めるとき、

私は必ず陽光のあたる場所に腰を下ろした。

苦悩は陽光を浴びると乾燥し、小さくなって脆くなる。

一方で、前向きな気持ちの幹は無くしていた潤いを取り戻し、太く強くなっていく。

 

現代の都市に生きる私たちは、時に人工の光を浴びることに疲れてしまう。

そうして、光を遮ろうと目をつむってしまうのだ。

そんな時、心の中に南仏のやわらかで力強いひかりをもっていたいと思う。

そうすれば、ショーシャンクでシワタネホを想い続けたアンディのように、

苦しい中でも希望を見出すことができるかもしれない。

 

だが、南仏の光を体感できるのはまだ先になりそうだ。

その時までに、印象派ジャン・コクトーの作品にできるだけ触れることを宿題としておこう。