『ブレードランナー』と『ブレードランナー2049』
東洋を思わせる雑然とした街並み、
夜になるとけばけばしく街を照らすネオン、
降り続ける雨。
私がSFという言葉から思い浮かべるイメージには、
直接的には『攻殻機動隊』が原因だろうが、
おおもとをたどればやはり『ブレードランナー』という作品が強く影響しているのだろう。
そんな『ブレードランナー』(1982)とその続編として制作された『ブレードランナー2049』(2017)を同時上映していることを知り、
これまで行けていなかった早稲田松竹に行く良い機会だと思い、
私は足を運ぶことにした。
『ブレードランナー』はすでに一度家で見たことがあり、
自分が生まれる以前に作られた映画であるにも関わらず、
その時にはなぜかなつかしさを感じるほどその世界に没入したことを覚えている。
劇場は平日にも関わらず多くの人が開場を待つ列に並んでいた。
学生よりも中高年の人々の姿が目立つのは、この作品であるが故なのだろうかと思つつ、
私も列の一部を形成し、そして席へ着いた。
映画の内容については、数多くの映画評が存在する中で改めて言うこともないため、
簡潔に書くことにしよう。
まず『ブレードランナー』については、やはり傑作としか表現できない。
デッカードやロイ・バッティらレプリカントたちの抱える葛藤は、
色あせることなく、スクリーンの向こう側に感情と思考を刺激するつぶてを投げつけきた。
そしてなにより、リドリー・スコット監督が作り出した世界は何度見てもたまらなく蠱惑的で、
2018年に見たそれは、多くの人の潜在意識に入り込んで現実の未来を導いているようにさえ思えた。
時代を作り出す作品とは、まさにこの映画のことを指すのだろう。
そして、続いて観た『ブレードランナー2049』は、これは解釈が難しかった。
率直に感じたことを書けば、いくらか冗長であったと思う。
冗長に感じられた理由はまず、
風景の描写や主演のライアン・ゴズリングの表情や会話など、
1シーンにかける時間が長めだったことがあるだろうが、
なによりも、ストーリーのテンポも速くアクション性の高い『ブレードランナー』の直後に見てしまったことが、
この映画の時間の進み方の遅さを強調してしまったのだ。
だが、その違いがこの作品においてマイナスだったかといえばそうでもない。
自らのアイデンティティを求めてもがき、その中で一つの答えを見つけて散っていくその姿を、
内省的かつ芸術的に描くというスタイルは、
『ブレードランナー』とは異なる魅力をブレードランナーという主題に付け加えていたように感じられる。
雪の中で満足げに空を見つめ横たわるKのすがすがしさとむなしさは、
この映画の中で最も印象的なシーンだった。
作中に込められたモチーフや暗喩などは他の映画評などに詳しく考察されているだろうから、
ぜひそちらを読んで理解を深めようと思う。
やや長くなってしまったが、
どちらの映画も人間とは何かというブレードランナーの主題をそれぞれの方向性で追い求めているという点で、
非常に面白い映画だったことは間違いない。
私の中のSF世界がこれでまた一つ豊かになった。
そして、シネコンには無い映画の楽しみ方があることを遅まきながら知ったことも記憶にとどめておこう。
映画の持つ楽しみを味わわせてくれる、
そんな名画座を巡りに行くことがこれからの楽しみだ。
2作立て続けに大作を見た私の頭は酸欠でひどく痛んだが、
そんな痛みも自分が人間である証といえるのかもしれない、
と思いながら、家路についた。