デリバレイティブ映画観

~ゆるやか映画感想・随想ブログ~

街なかで配られる

街なかの景色は常に流れていくが、

 

視線を一つのものに固定すると、

見逃していた面白みに出会うこともある。

こんなことをティッシュを配る人を見て思った。

 

 

ティッシュ配り、またはサンプリングともいうこの所業は、

街なかにある種の緊張をもたらす。

ほんの一瞬ではあるが、

人と人が接触する面白さがそこにはある。

 

 

まず、これは実際にティッシュ配りのアルバイトをした経験からだが、

配る側は思った以上に街なかを行く人たちを見ている。

性別、年齢、人種といったことから、

目つきや眉間のしわの寄り方といったところまで、

総合的に配る対象を観察しているのだ。

 

 

もちろん、配る対象は広告したい商品に合わせてもともと規定されているので、

その観察に基づいて配るかどうかを決めるのではない。

つまり、観察からは受け取ってくれなさそうだと予想したとしても、

規定されている配布対象であれば配りにいくということになるし、

その観察はあくまでも配布物を受け取ってくれるかどうかという予想の根拠になるだけだ。

 

 

では、どのような人物であれば、受け取ってくれそうだと感じるのか。

それはやはり、身長や体型といったことよりも、

観察から感じられる、その人物を包んでいる雰囲気が判断材料になる。

体感としても、人を寄せ付けない厳しさを感じさせる人よりは、

やわらかい雰囲気を持った人のほうが受け取ってくれる割合も高かったように思う。

 

 

そうした雰囲気を生み出すものは何なのだろう。

それがティッシュ配りという行為が私にもたらした疑問だった。

人の雰囲気の形成に影響するものは、

人生経験や社会的立場、経済状況や人間関係など、いくらでも考えうる。

 

 

それ以外にも、何年も前に読んだ本が、今聴いている音楽が、

あるいはこれから行く予定の場所が、

意識的にも無意識的にも関係しているのかもしれない。

確かなのは、その人が生きてきた中で下してきた一つ一つの選択が、

今のその人の雰囲気につながっているということだろう。

 

 

だから、厳しい雰囲気、怖いといえる雰囲気の人でも、

ティッシュをもらってくれる人が多くいたことは記しておく必要がある。

雰囲気はその人を構成する大きな要素の一つだが、

あくまでも一部分、一つの側面にすぎないのである。

 

 

とはいえ、私もできることならやわらかい雰囲気を身にまとい、

ティッシュをもらえる生活をしたいものだ。

一つ一つの選択が自身の雰囲気を醸し出すものであるなら、

まずは行動から変えて行く必要があるだろう。

だから、今日の夕食には冷ややっこを一つ、つけてみた。